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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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薬師河原刑場跡

                              福島県キリシタン殉教地、記念碑

会津キリシタンらが殉教した場所


キリシタン禁教令下にありながら、熱心に信仰生活をしていたキリシタンたちが処刑された場所。

1635(寛永12)年、会津藩主加藤明成は、幕府の命令を徹底すべくキリシタン弾圧に乗り出し、横沢丹波とその一族、丹波の家に匿われていた宣教師が捕らえられ、処刑されました。
彼らの殉教の地はキリシタン塚と呼ばれ、石碑が建てられています。

薬師河原刑場跡

キリシタン塚


キリシタン塚は、黒川(旧湯川)と住宅との間のわずかなスペースにあります。

十字架と「キリシタン塚」の文字が黒御影石に刻まれているだけですが、存在感があり、誰かがいるような感じさえしてきます。

キリシタン塚

キリシタン塚の由来碑


キリシタン塚の手前にはキリシタン塚の由来を記した石碑と解説板が建てられています。

カトリック会津若松教会によって建てられた石碑は歳月を経たもので、キリシタン塚の碑よりも古いものに見えます。

カトリック会津若松教会が長い時間をかけて殉教者の顕彰に取り組んできたのだということがうかがえます。

キリシタン塚
キリシタン塚と台
キリシタン塚
キリシタン塚
キリシタン塚
キリシタン塚の解説板
キリシタン塚
キリシタン塚の由来碑

薬師河原刑場の殉教者


ここで処刑されたキリシタンの記録は以下の通りです。
最初の2件は藩主が加藤明成だった頃のことで、3件目は保科正之の時代のことです。

  • 1636年1月24日(寛永12年12月17日)、会津キリシタンの中心的人物であった横沢丹波とその一族5人が磔刑に処せられました。この頃から会津藩の刑罰場は薬師河原に移されました。
  • 1636年2月4日(寛永12年12月28日)、一人の外国人宣教師が火炙りで殉教。宣教師の名は不明ですが、横沢丹波の家を隠れ家にすることもあったフランシスコ会の神父、ディエゴ・デ・ラ・クルス・デ・パロマレスではないかといわれています。
  • 1647年5月16日(正保4年4月12日)、キリシタン5人が処刑されました。




 
現地への行き方
JR七日町駅から徒歩15分ほど。駅で降りたら線路を渡り、喜多方方面に向う国道252号を北上し、バス停「神指農協前」の辺りに案内標識があるので、それにしたがって右折。少し歩くと川の手前の左手にキリシタン塚が見えてきます。住所は会津若松市神指町東城戸。

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この地図は大体の位置を示すものです。訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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