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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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黒川河原刑場跡

                               福島県キリシタン殉教地

会津藩の処刑場があった場所


薬師河原に移るまで会津藩の刑場があった場所。
薬師河原と同じ黒川(旧湯川)の河畔にあり、それほど離れていない所にあっただろうと考えられています。ここでも多くのキリシタンが殉教しました。

黒川河原刑場跡

黒川河原刑場推定地


黒川河原は蒲生時代からの刑罰場で、現在の五月町、八日町、緑町の辺りで、黒川の流れている所にあったとされています。

その辺りを歩いて碑か何かないかと探してみましたが、何も見つけられませんでした。

黒川河原刑場跡

黒川の河畔


涙橋やキリシタン塚の解説板では、キリシタンは全て薬師河原で処刑されたかのように書かれていますが、事実とは異なります。

実際は薬師河原よりも黒川河原の刑罰場で殺されたキリシタンの方が多く、名前がわかっている殉教者の数も多いです。

薬師河原にキリシタン塚を建てたように、黒川河原にも歴史を偲ぶことのできる何かを!と考えるのは欲張りでしょうか。

黒川河原の殉教者


黒川河原で処刑されたキリシタンの記録は以下の通りです。
この2件の殉教が起こったのは会津藩主加藤明成の時代でした。

  • 1632年2月8日(寛永8年12月18日)、キリシタン42人が処刑されました。そのうち大人26人が火あぶりの刑で、子供たち16人は斬首でした。殉教者の名を記します。     
    • パウロ柴山長左衛門と妻マリア、その子イグナチオ伊之助
    • ペトロ二宮某と妻マリア、その子ザベリオ某
    • トマス松山某と妻イザベラ、その子セバスチャン太郎作、ジョアン重五郎、シモン作十郎
    • ジュアン大森喜右衛門と妻アンナ、その子プロタジオ某
    • ジュアン尾崎金左衛門と妻イサベラ、その子アレキシヨ伝蔵、ペトロ作十郎
    • ドミンゴ向井孫三郎と妻ルシア、その子アントニオ庄造
    • ディエゴ佐々木惣兵衛と妻マリア
    • ジョセフ広瀬太左衛門と妻マリア
    • エロニモ六助とその子イグナチオ庄吉
    • マルタ某とその子ジョセフ参十郎
    • アンナ某とマグダレナ某とその子ディエゴ山田庄吉、アンチオ万吉、マルチノ某
    • レオ柳屋長安
    • レオ小笠原吉右衛門
    • ファビノ今田茂右衛門
    • アンデレア新田多右衛門
    • アルベルト河内二蔵
    • ジュアン竹谷惣右衛門
    • ジョセフ竹谷又七     
  • 1632年2月12日(寛永8年12月22日)、同じ場所で9人が処刑されました。9人のうち5人が火あぶりの刑で、4人が斬首でした。殉教者の名前を記します。
    • トマス清兵衛と妻ウルスラ、その子フランシスコ某
    • ディエゴ遠藤六左衛門と妻マリア、その子フランシスコ某
    • マチヤス原多兵衛と妻クララ
    • マリア某



 
現地への行き方
JR七日町駅から徒歩15分ほど。薬師河原刑場跡から黒川沿いに涙橋方向に歩いた辺りを黒川河原刑場跡と推測して写真を撮りました。いつか正確な情報が手に入ったら内容を更新するようにします。

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この地図は大体の位置を示すものです。訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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