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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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石塚観音

                              福島県キリシタン迫害者関連史跡

キリシタン嫌いだった家康の三女が信奉した


徳川家康の三女で、蒲生秀行に嫁いだ振姫が信奉した観音寺。
秀行はキリシタン大名蒲生氏郷の嫡男で、父が急逝したため13歳で家督を継ぐこととなりましたが、領地を治める能力に欠けるということで一旦会津領を取り上げられました。

しかし豊臣秀次が領地の相続を認めたことで、秀次と秀吉の二元体制の問題性が露見し、結局秀行は、秀吉の命で家康の娘を正室に迎えることを条件に会津領の相続が許されるようになりました。

石塚観音

石塚観音参道


家康の三女を迎えることで領地を安堵されたわけなので、秀行は生涯振姫に頭が上がらなかったといわれています。

父が存命の頃からの家臣にはキリシタンが多くいて、秀行もその影響を受けキリシタンに対して好意を持っていました。

しかし家康の娘である振姫は、大のキリシタン嫌い。観音参りを奨励して、自らも熱心に石塚観音を信奉する一方、キリシタンを敵対視し、事あるごとに対立しました。

石塚観音

石塚観音本堂


正室と古くからの家臣の間にはさまれて、秀行家中をうまく治めることができず、その不協和音は御家騒動にまで発展しました。

心労がたたったのか秀行は30歳の若さで没し、その後振姫は他の藩主に嫁ぎました。

現在ここは訪れる人の少ない寂しい寺で、振姫の篤い保護があったというのが信じられないほど。常在する僧侶もなく、管理は他の寺がしているようです。


 
現地への行き方
JR西若松駅から徒歩3分ほど。

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