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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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バテレン塚

                              福島県殉教地、キリシタン関連史跡

キリシタン城代岡越後の墓?


猪苗代城の城代を務めた岡越後の墓とも伝えられる塚。
この塚はキリスト教を棄てなかった越後とその妻子が処刑された場所とも、処刑された彼らの亡骸が埋められた場所ともいわれており、はっきりとしたことはわかっていません。

ただキリシタンの死に関する塚であり、地元では「バテレン塚」と呼ばれてきたということだけがわかっています。「バテレン」とは本来「神父、司祭」を指す言葉なので、厳密には「キリシタン塚」と呼ぶべきで、そのように呼んで紹介している人もいます。


バテレン塚


処刑され埋められたのが、岡越後とその家族だったのかも定かでなく、他のキリシタンだった可能性もあります。

なのでここに建てられた碑には「キリシタン殉教の地」とだけ書かれています。

岡越後はキリシタン大名蒲生氏郷の股肱の家臣で、氏郷に付き随って上洛した1591(天正19)年か1594(文禄3)年に京都で受洗したと考えられています。

バテレン塚と石碑


氏郷の没後、伊達政宗にスカウトされるも断り引退し、ケチに暮らしていましたが、蒲生秀行が領地を治ることに苦慮していると知ると、戻ってきて、貯めていた全財産を秀行に献じました。

そんな忠臣を秀行が処刑するように命じたのなら悲劇ですが、秀行は1612(慶長12)年に死亡したので、元和年間の迫害、処刑には関わっていないことは確かです。

迫害のひどかった元和年間に藩主だったのは、秀行の子で氏郷の孫、蒲生忠郷ですが、それでも悲劇は悲劇です。この塚の周りの重苦しい雰囲気はそこからきているものでしょうか。


「キリシタン殉教の地」碑

解説碑

バテレン塚

キリシタン塚ともいう


 
現地への行き方
JR猪苗代駅から車で30分ほど。土津神社の前の道を少し上っていくと右手に案内板が見えるので、それにしたがって山道を下りていくと右手にあります。昼なお暗い山の中にあるので、夕暮れ以降に訪れると足元が見えず危ないと思います。

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この地図は大体の位置を示すものです。訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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