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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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猪苗代修道院、セミナリヨ跡

                              福島県キリシタン関連史跡

キリシタンの修道院とセミナリヨがあった


猪苗代修道院とセミナリヨがあったとされる地。この修道院を作ったのはイエズス会のジェロニモ・デ・アンデリス神父。1615(元和元)年のことでした。

27ケ村がことごとくキリシタンとなったという猪苗代には、信徒育成の場となる修道院とセミナリヨが設けられていました。その場所は、文献によると、「磐椅神社の西隣で別当の神宮寺があった所」とされますが、現在その辺りには当時を偲ぶものは何もありません。

磐椅神社の西隣


修道院とセミナリヨがあったのは、磐椅神社の西隣とされますが、現在左のような状態になっています。

当時を偲ぶものが何もないのは、とても残念です。猪苗代の歴史の一部なのだから、史跡として捉えて発掘などしてその遺構の一部、遺物の一つでも発見してほしいです<(_ _)>

西洋からの文化に初めて触れた日本人たちが、ここで宣教師らと魂の交流をしたというのは、美しい猪苗代の自然にも劣らぬ魅力ではないかと思います。

修道院とセミナリヨがあった?


当時猪苗代修道院にいたことがわかっているのは、イエズス会のホアン・マテオ・アダミ神父と同宿藤右衛門、日本人修道士ジョアン山です。

アダミ神父らは1617(元和3)年、ジョアン山は1620(元和6)年に来て、修道院に定住して活動にあたっていました。

1624(寛永元)年、将軍家光の命で、会津藩でも多くのキリシタンが捕らえられ投獄されましたが、猪苗代では逆に信仰の熱が燃え、1625(寛永2)年の受洗者は360人に及びました。

彼らは1629(寛永6)年頃、この地を去らねばならなくなり、アダミ神父は京阪地区で働いてから行った長崎で殉教、ジョアン山は捕らえられ会津若松で入牢した後、江戸に送られ殉教しています。


磐椅神社

磐椅神社の西隣

磐椅神社の南西

磐椅神社近くの建物


 
現地への行き方
JR猪苗代駅から車で45分ほど。住所は耶麻郡猪苗代町西峯6199です。

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