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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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鶴芝刑罰場跡

                              福島県殉教地、キリシタン関連史跡

キリシタンが処刑された場所


白河で捕らえられたキリシタンが処刑された場所。

1623(元和9)年、第三代将軍に徳川家光が就任すると日光東照宮の造営が進められ、多くの法令と共に、二荒山から40里四方の無宿人とキリシタンを厳しく取り締まるようになりました。白河藩は二荒山から20里の範囲内にあったため、キリシタン狩りが行われるようになったのです。

鶴芝の住所表示


1632(寛永8)年、本町の牢に入れられていて棄教しなかったキリシタン13人が鶴芝で処刑されました。

当時白河藩の一般罪人用の処刑場としては皮籠仕置場が使われていたのですが、キリシタンは汚らわしく、人間ではないと考えられ、牛馬の死体捨場となっていた場所で処刑しました。

処刑は藩主丹羽長重の命令で、当初キリシタンの家臣を登用したこともありましたが、後に迫害者となりました。

現在の鶴芝1丁目付近


キリシタンは市中を引き回された上、奥州街道沿いで最も人通りの激しい場所で「釣るし殺し」されました。

「釣るし殺し」とは逆さに磔にして放置することで、口や鼻はもちろん、目や耳からも血が流れ出て、脳の血流が増大し破裂して死に至るというもので、大変な苦しみを伴う処刑法です。

現在の地名「鶴芝」は、「釣るし場(ツルシバ)」からきたものです。


現在の様子

現在の様子

現在の様子

現在の様子

九番町の神社


鶴芝に近い九番町の小山には神社があり、馬頭観音を祀っています。これは牛馬の死体捨場となっていたことと関係があると考えられ、殉教地同定の傍証に挙げられます。

当時奥州街道と呼んでいた道は、現在は旧奥州街道、あるいは旧陸羽街道と呼ばれ、片側一車線の狭い道路となっていますが、それでも交通量は少なくありません。

当時から往来が激しい場所であったことは想像にかたくなく、そのような場所を選んで処刑した理由は見せしめのため、辱めるためでした。


キリシタンが歩いた道

旧奥州街道

九番町の神社

馬頭観音の碑

キリシタン殉教者たち


鶴芝刑罰場で処刑されたキリシタンは以下の通りです。
彼らは上ノ台の牢屋で棄教を拒み、殉教への道を選んだ者たちでした。

  • 1632年1月31日(寛永8年12月10日)の殉教者13名
    • パウロ高橋半兵衛と妻クララ、その子カンデイト幸吉とロク、他に2人の子供
    • リイノ坂本次右衛門と妻マキシム、その子マンシオ作ノ丞とトマス権三郎
    • ジュリアン巨摩と妻マリア、その子彦蔵
  • 1643年9月1日(寛永20年7月18日)の殉教者3名
    •  藤右衛門と妻、その子長左衛門                              



 
現地への行き方
JR白河駅から徒歩45分ほど。住所は白河市鶴芝です。

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