本文へスキップ

キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

トップページ > 史跡案内 > 福島 > 金礼寺

金礼寺

                               福島県 キリシタン関連史跡

牢死したキリシタンが葬られた寺


二本松藩の牢で死亡したキリシタンが葬られた寺。

二本松が藩として独立した以降に発覚し捕らえられたキリシタンは、江戸送りになるか、藩の牢屋に入れられ詮議を受けました。詮議といっても棄教を迫る拷問なので、牢死は病死や衰弱死の他、拷問によるショック死もあったと考えられます。

自殺したと記録されている者もいますが、キリシタンは自殺を禁じる教えをもっており、「転ぶ」といえば牢から出られるものを、信仰を守るからこそ入牢しているのに、そこで自殺するなどありえないことです。

牢死した者の名前はある程度記録に残っていますが、誰がこの寺に送られてきたのかはわかっていません。

金礼寺


二本松藩の牢で死亡した者の埋葬された寺は、白岩村の金礼寺、二本松城下の大隣寺、大槻村の長泉寺です。

多くのキリシタンがいた地域と合致しており、そこで捕縛されたキリシタンが牢死した際に村に返されたと考えられます。


金礼寺の樹齢400年の銀杏


二本松藩で入牢し死亡したキリシタンは以下の人々です。
  • 1644(正保元)年、二本松藩牢で助左衛門と四郎右衛門、源左衛門が牢死。
  • 1645(正保2)年、同じく七郎右衛門が牢死。
  • 1647(正保4)年、清蔵と市兵衛が牢死。与市郎が首吊り自殺。

記録に残っているのはこの3件ですが、14名の殉教者を出すほどの二本松で、この人数は少なすぎます。
記録に残されていない死もあったのではないでしょうか。

二本松が藩としてキリシタン狩りをするようになったのは、丹羽光重が入封した1643(寛永20)年からなので、キリシタンが捕縛されたのはそれ以降のことになります。

入牢して1年やそこらで死亡するのは自然死と考えにくいので、やはり拷問や虐待による人為的な死、つまり処刑、あるいは苦しみを長引かせた処刑だったと考えるのが妥当だと思います。


金礼寺

金礼寺本堂

銀杏の解説

墓地


 
現地への行き方
東北自動車道本宮インターより車で30分ほど。住所は本宮市白岩字根岸386です。

地図データ c2012 ZENRIN - 利用規約
地図
航空写真
地図+写真

この地図は大体の位置を示すものです。訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

インフォメーション


                                          NEXT >>