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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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三春城跡

                               福島県 キリシタン関連史跡

キリシタン城代が詰めていた城


1504(永正元)年、田村義顕により築城され、明治維新後に解体されるまで三春藩主の居城となった城。別名、舞鶴城。

キリシタン城代 蒲生郷成や松下長綱が在城したことがあり、彼らの家臣にもキリシタンがいました。

舞鶴城址の碑


イエズス会宣教師ルイス・フロイスから受洗したジョアン蒲生郷成が三春城に入ったのは、1601(慶長6)年。第二代会津藩主 蒲生秀行の時代でした。

ところが郷成は1609(慶長14)年、秀行が重んじる家老の岡重政と折り合いが悪くなり、三春城を去って行きました。

次にこの城にキリシタンが入ったのは1628(寛永5)年。会津藩主加藤嘉明の時でした。

三春城本丸跡


嘉明の甥松下長綱が、嘉明の次男加藤明利と交替する形で三春城に入ったのです。

しかしこの時代はすでにキリシタン禁制の時代に突入しており、長綱はひそかに信仰を持ってる、いわば「隠れキリシタン」でした。

1642(寛永19)年、長綱とその家族全員がキリシタンであることが発覚し、妻の実家のある土佐藩に預けられることとなりました。

1658(万治元)年、長綱死去。45年の生涯でした。

三春城二の丸跡


三春城代時代、長綱の下には何人ものキリシタン家臣がいましたが、名前がわかっているのは、山家五郎右衛門と佃三郎兵衛だけです。

会津藩、白河藩、棚倉藩の記録には、「三春にはキリシタンが多い」と書かれています。

長綱は14年間ここに居城し、キリシタン家臣を抱えるなどしたので、禁制下でもこの領内のキリシタンは束の間の平穏を味わっていました。

その名の通り、正に春を思わせる温かさでキリシタンを包んだ三春の町は、今は桜の名所として全国に知られています。


解説板

二の丸跡

本丸跡の遺構

現在は公園


 
現地への行き方
JR三春駅から徒歩30分ほど。住所は福島県田村郡三春町大町です。

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