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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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三春小学校

                               福島県 キリシタン関連史跡

キリシタン類族の時代の藩主御殿跡


三春藩主の御殿があった場所。

三春は始めは会津領に属し、蒲生(氏郷)、上杉、蒲生(秀行、忠郷)、加藤の領地でしたが、加藤嘉明の甥松下長綱が改易された後しばらくは幕府直轄領でした。

その後秋田俊季が常陸国宍戸から入封し、秋田氏の支配は幕末まで続きました。この秋田氏の時代に藩主の御殿は三春城のある山からその麓である現在の場所へと移りました。

三春小学校


三春藩主秋田俊季(としすえ)の父 秋田実季(さねすえ)は、初代常陸国宍戸藩主で、1604(慶長9)年にフランシスコ会に教会用地を提供した人物。

この用地にフランシスコ会士たちは修道院を建て、北関東布教の拠点としていました。

その後禁教令が厳しくなるにしたがって、宍戸修道院は壊されてしまいましたが、キリシタンゆかりの地である宍戸と三春が俊季の移封でつながったことは興味深いことです。

校庭


秋田氏が三春藩主となった時代はすでに、切支丹類族改め(転んだキリシタンの子孫が仏教徒として暮らしているかをチェックするもの)の時代になっていました。

1689(元禄2)年の「切支丹帳数」によると「秋田信濃守 二冊 五十八人存命 十八人死失」とあり、17世紀末の時点でも、元キリシタンとその家族が58人もいたことがわかります。

校門のオブジェ


転びキリシタンの類族を調べる一方、三春ではキリシタンの摘発にも力を入れなくてはなりませんでした。

「契利斯督記」には、「秋田安房守領分 三春ヨリ宗門ノモノ中頃ニ出テ申シ候」と書かれています。田村郡の各村からキリシタンが発覚し取調べを受けたことが記録されています。

この場所は、蒲生郷成と松下長綱という2人のキリシタン城代の置き土産、信仰と類族という2つの問題に悩まされ続けた藩主が暮らしていた所だったということができるでしょう。


三春小学校

小学校と三春城跡

校庭

通用門


 
現地への行き方
JR三春駅から徒歩25分ほど。住所は福島県田村郡三春町大町157です。

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